●秋葉原へ歩いていく アメ横を鈴木様と巡ってから、鈴木様と別れ、家の3人だけで秋葉原へ歩いて行った。一駅なので、十分歩いていける距離だったが、疲れているせいか、中々遠い感じ、電気商店街を見てたが、私が高校の時は、電気製品にとても興味が在ったので、次男もたぶんそうだろうと思って、わざわざ連れてていたのだ。でも次男は、何も感動も無いし、ほしい物もなさそうだ、今の子供は物質にあまりも恵まれているから、中々良い物をプレゼントしても、あまり感動が無い。少し気が抜けた感じ、私の部屋には、昔のオーディオとか、昔のLPレコードがある。高校の時友達の家で見たオーディオがあまりの素敵だったが、それを買うことは出来なかった。今、この年になってやっとその同時、欲しかった物を収集している。
●新宿へ行って、次男が行きたい店を探した ソウルを立つ時から、印刷して持っていたプリントを見ながら、次男が行きたい店を探してやっと見つけた。そこは、少女たちが好きそうな、色んな物がある。アメリカの女友から頼まれた物を買うのに、次男は必死。やっと彼の顔から微笑が見えた。アルバイトで集めたお金を、妻に出しながら、日本円に両替してもくれと言ったが、それが今使えることなのだ。私も、その時代女の友達に熱を出したが、子供が同じことをしていることを見たら、ちょっと複雑な感じである。親譲りなのか、しばらく贈り物を買う間、私は通路で、地下鉄の駅の名前を覚えながら待ってた。
●靖国神社へ 日本に行く時には、靖国神社に行ってみたいと思った。それは、首相の参杯の問題で有名になったこともあるし、ここは、国の為に命を捨てた愛国忠烈の霊魂が寝ている所なので、彼らにお礼をしたいし、ここには日本人だけではなく、日本統治時代、朝鮮出身の戦闘機の操縦士もいると聞いたので彼らの姿と見たかった。坂があまり見付からない東京市内では珍しく、靖国神社がある九段下駅の前は、大きな坂があり、それを上って神社の入り口が見えた。立派な鳥居を何個過ぎて、奥の方に、16個の菊の葉っぱで出来ている皇室の紋章が見えた。ニュースの時、たびたび見てた場面である。時間が遅れて、もし閉まっているか心配していたが、幸いに入る事ができた。妻と子供と一緒に参拝した。あの時、戦闘機に乗る前に、「靖国で会おう」と、叫んだ筈の若い韓国人の姿が浮かび上がる。その当時はそれが最も見事なことだろう。時代が変わっても、いつまでも、祖国の日本の為に潔く命を捨てた彼らの愛国心を裏切らない「靖国」になって欲しい。
●いよいよ、日本武道館! 靖国神社の隣に、日本武道館がある、歩いて10分くらいの距離。日本武道館は、皇居の中にあるみたい。城の門を通過して中まで入った。その途端、私の胸はトキトキ高鳴った。あちこち「長渕剛」の頭を真似した人たちが見える。ギターを弾きながら、長渕の歌を歌ったいる所もある、記念シャツや、記念タオルも売っている。初めて公演の参加したのは、2年前大阪城ホールだった。その時は円安だったので、記念品を何個か買ったが、今度も一つも買わなかった。お金の節約もあるけど、子供の節約精神を教えてあげたいからだ。欲しい物が有っても、我慢することも必要である。今の子供は欲しい物は全部親が買ってあげるから、物の大事さを分からない。私は子供の時、貧乏の生活をしてたので、今も物を大事に使っているし、使い捨ての物はあまり好きではない。一生使っても良い位丈夫な物が好きだ。友たちも一生友にする善い人を選んで付き合っている。まずは私が善い友になるのが先だけど。
●いよいよ入場、しかし妻は外で 今回の座席は、「剛の家」の同宿会にも参加した、進藤さんに頼んで貰ったものである。元は妻と二人で行くつもりだったが、後で次男も一緒に行くことになり、入場券が二つしかないので、妻は見たこともあるし、子供に遠慮して、外で待つことにした。妻に悪い気持ちである。我らの座席は、アリナー席だった。アリナーが何の意味か、まだはっきり分からないが、私の座席が一階だから、一階の意味と思う。1時間も早く着いた甲斐があって、アリナー席の行列の一番始めてから並ぶことができた。指定席なので、一番並ぶのが別に意味はないが、誰も入っていない公演場に一位で入場することである。会場時間18:00、ジャストになって、ドアーが開けられた。次男と一緒に公演場に入場、指定された番号の椅子を探して座った。会場は3階になっているし、前が舞台で、とても大きい。われらの座席は、舞台からは少し後ろに、殆ど真中で、右の方には、音楽のセットとか、録画の機会とか、照明の機会を、パソコンで運用する職員が座っていた。機械が好きな俺には、中々良い場所である。いよいよ、長渕剛が登場、観客の歓呼の中で、演奏が始まった。歌は、新作の「FRAND」から殆どでた。幸いに、みみさんから送ってもらったCDを、十分聞いてから行ったので、歌はとても楽しく楽しめた。剛のファンは、皆座席から殆ど立ち上がって、手を上を向いて、伸ばしながら一緒に歌った。勿論僕も皆と同じ両手を交代しながら、上を向いた。次男は恥かしくて、最初はやっていなかった、僕がやりなさいと言ったら、一所懸命振りながら、長渕の公演を楽しんだ。
●皆が立ち上がって応援 場内は、空いている席がなくて、一杯、何人なのか、数えてないが、1万人くらいはあると思った。最初コンサートに参加した時、もう知っていることだが、やっぱり大抵の人数が椅子に座らないで、立ち上がって応援することである。これは、熱い。剛を叫びながら熱狂的に応援するのは、他の公演場にまだ行ったことがない俺にとって、感激と興奮のロツボである。いつものように、「英二」が流れる時には、進藤さんに頼んで、爆竹を手に持って、2節の「突撃が落とされ」という部分が出ることを、待ってた。次男にも一個上げて、準備させた。彼は何も訳も分からず、手に持っていた。いよいよ、その部分を歌う時、皆が爆竹を一斉に爆発させた。3階から一回まで、爆竹から色紙と糸紙が広がれて、祝祭の絶頂を成した。次男のびっくりしてたと思う。
●公演の終わって、ホテルへタクシーで 公演が終わって、人並みの中で進藤さんと別れを乞え、次男と一緒に外へでた。城の門の辺りで妻は待っていた。3時間も外で待っていて、相当寒かったみたい。近くにスーパーも無いので、一人で寂しく震えながら、門の前で待っていたみたい。悪いね。近くには、九段下駅がすぐありましたが、あまりも多い人数で、地下鉄に乗るのは、無理だったので、タクシーの乗ってみました。料金は、思ったより高かったけど、一つ経験になった。運転手は親切で、車の中も綺麗だった。新大久保駅のちょっと前に下りて、夕食を食べる所を探した。適当な所が見つけなくて、ホテルを超えて、歩いた結果、回転寿司の店をみつけた。
●回転寿司屋で働いている韓国人の少女 やっぱりここは、韓国村と言えるところである。回転寿司の店は、韓国人もたくさん入ってくると思うが、韓国人が働いていた。日本で韓国人に会えるのは、珍しくないが働いている人を見たら、長男のことが思い出されて、とても嬉しい。声をかけて、色々聞いてみた。彼女は韓国人が好きそうな寿司を選んでくれたり、親切にしてくれた。スープが三つあり、蟹スープ、若布スープ、味噌スープがでて、その中で蟹スープが美味しかった。値段はちょっと高かったけど、せっかくなので惜しまず一杯食べた。
続き→ 「剛の家」の2009年日本旅行記(2009.9.5~9.9、4泊5日)C
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