●ハングル文字で書かれた絵馬 明治神宮の中には、手を洗う所(お手洗い?名前がわからない)と、絵馬がかかれてある所、お御籤を販売する所がある。その中で、絵馬をかけて置くところ(この場所も、名前は知らない)には、いろんな国の言葉で書いてあるが珍しく、ハングルで書かれた絵馬を見つけた。前、韓国のインターネットのサイトで、明治神宮で韓国人が願いすることはおお間違いだ、すなわち「朝鮮侵略の元凶の明治天皇に、被害者の韓国人がお願いすることは可笑しい」と書いてあることを、読んだことがある。一見、それも、それらしい話であるが、私は明治天皇は韓国の開花文明の為に努力した恩人で今の韓国の基礎は、日本統治時代に確立されてあると信じている。歴史教科書には、日本の統治が悪かったと非難一色であるが、歴史はその当時の人達の考えで判断しなければいけないし、功と過は、はっきり区別しておく必要がある。悪いことがあったとして、その功さえを解らなければ、百済が日本に漢字を教えてあげたことという韓国人の自慢も、唐人の寝言に過ぎないと間違いない。 仏教の信者も、教会に行けば、キリストの前で礼拝をするのが礼儀である。神宮の中では日本人にも、韓国人にも、中国人も皆平等である、金持ちも貧乏な人も皆、神様は差別しない。心を篭って祈れば、たとえ、それが鰯でも、通じると私はお思っている。明治神宮で見つけたハングル文字の願い、最も嬉しかった。明治天皇は生きている時にも、亡くなってからも在り難い方である。明治神宮には、表参道から入る門だけでなく、後ろからも大きな道があった。出る時には後ろにある門から出て、長い砂利の道を歩いた。広くて立派な道である。森が大きな陰になっている。これは韓国の朝鮮王朝の歴代の神位が祭られている「宗廟」も同じである。鬱蒼な森の中で立派な建物が建てられてある。日本と韓国の違いは、韓国の神宮(宗廟)の神様(王様)は、個人のお願いを聞いてくれないということである。祖先を祭ることはするが、自分の願いを祈ることはしない。受験戦争の韓国で親が子供の大学合格の為に祈る場所は、宗廟でなく、お寺である。
●11回目の同宿会、初めての参加 夕方5時30分、新大久保駅で皆さんの待ち合わせ。久々に会える人もいるし、2週間前に会った人もいた。会長の伊藤さんから座席配置表を貰って読んでみたら、とても立派な文章である。皆様は約束時間の合わせたのに、妻が遅刻してしまって、皆様に悪かった気持ち。しかし、それから私の責任である。韓国では待ち合わせが、5時30分ならば、必ず1人くらい10分くらい遅れるから、5時40分になってしまう。それで、妻も10分遅れてきてくれよと言った私の責任であった。しかし、皆様は、正確に時間を守って集まった。なるほど。これが文化の違いだ。今日も一つ勉強になる。皆と一緒に10分くらい歩いて、「水宝館」という韓国料理屋に行った。座席は貸切で「剛の家」の会員だけで一杯。一応座席に座って、韓国料理を待った。待ちに待って出た料理は、ちょっと、、三枚肉(サンギョプサル)がメイン料理だったが、量がちょっと少ないし、包んで食べる時に入れる葱の和え物が、お肉が全部無くなってから出てくる。これが日本式(?)かも知らないが、韓国人が見たら、すこし可笑しい。出来るならば、この店の社長を韓国に連れてて研修でもさせたい気持ち。(後で聞いたら、社長が韓国人だった)でもいい店を探す為に最善を尽くした会長の伊藤さんには申し訳ないので、これ以上は言わない。同宿会に参加したした皆様、韓国に来た時には、韓国いい店を紹介しますので一緒に行きましょう。会長伊藤さん、すみません。お疲れ様でした。どうもありがとうございます。
●遠い所からおいでになった皆様へ 酔っ払う前に、スピーチしたかったが、会長の紹介がちょっと遅れて、大分酔ってから皆様に感謝の挨拶の機会がやっと与えられた。準備した内容は全部忘れて、普段考えたことを言い続けた。@来てくださって、どうもありがとう、私は日本のことが大好き、皆様は韓国が好きなはず、それで剛の家は皆様の実家になって、皆様を応援したいA私は「長渕剛」が大好き。それで彼のコンサートを見る為に日本にきた。同宿会はその次である。私は私が好きなことをする為に、日本に来てる、皆様も自分が好きなことを楽しんでください。韓国のことが好きな皆様に、私は皆様の韓国語の勉強とか、韓国の縁作りに、役に立ってあげたい。B同宿会の会長、伊藤さん、お疲れ様でした。会長さんこれからもよろしく! ま〜大抵この内容だと思っている。(間違いがあればメールで連絡ください)。 皆様、お会いできて嬉しかったです。楽しかったです。韓国での再会を楽しみにしています。
●楽しい宴会は終わり、ホテルへ 宴会が終わって、韓国ならばカラオケに行くのが定番だか、ここはこのまま終わるみたい。それならば、皆と一緒に食堂で長渕剛の「乾杯」でも歌ったら良かったのにと今更後悔してた。参加はしてないけど、難波様から電話が嬉しかった。いよいよ宴会は終わり、皆歩いて新大久保駅へ。途中で韓国食品店に寄って中を覗いてみた。この日は、もう酔ってしまたのでそのままぐっすりねた。明日の立派の朝食を楽しみにしながら、、^^
<9月7日>
●朝ご飯が産婦の食事! 色々おかず、味噌汁、食パン、果物、お茶、ジュース、コーヒーなど、立派な日本式のバイキングを考えて、ホテルの予約の際、朝ご飯付で注文した私は、ホテルで出た朝食を見て、唖然、びっくりした。韓国式の若布スープと若干のキムチ、大豆醤油漬け、要りこの炒め、それからご飯だけ。ああ最悪、大失敗、これは韓国では出産した産婦に出す病院の食事のそのままである。これでは、子供にお父さんの面子が立てないな。昨日は、寝室があまりみすぼらしくて気持ち悪かったのに、連続の失望、ああ、新大久保大嫌い。これで、本当に商売できるかな、このホテル!でも仕方ないので、美味しく泣きながら(?)食べた。
●タクシー、人を信用して待ってくれる。 約10年くらい長い間、家族のように付き合ってきた、’鈴木さん’と上野駅で待ち合わせ、すぐタクシーに乗って、彼女の自宅を訪問した。立派な住宅である。まるでホテルのような感じで、門札が同じスタイルでかけてある。韓国ではナンバーだけで、門札をかけることが少なくなった。すぐ家を出て、またタクシーを拾おうと路地の角で待っていたら、反対の方面でタクシーが見えた。韓国ならば、お客様が待っていたら、どの方面を走っても関係なくすぐ回転して載せようとする。回転が出来ない所でも、すぐ違反してしまう。お客様が少ないし、タクシーが多いから競争が激しい。料金は安いけど不親切である。しばらく待ってたら、今度は行きたい方向を向っているタクシーが来る。それに乗っていく途中、運転手に、あるお寺をちょっと見てくるから、5分くらい駐車して待ってくれと頼んだ。それでお寺の前で、タクシーから降りてた。何も料金も払わないで、おお。これは珍しい!韓国ならば、運転手がお客様が帰ってこないことを心配して、一応今まで来た料金は払わなければいけない。まだ日本はタクシーの運転手も心が余裕があるからだ。お客様を信用して待ってくれる。これが当たり前なのに、今の韓国、本当にお互いに信用しない。特に運転手の質が低くて、あまり人を信用してくれない。悲しいことである。
●浅草で人力車に乗ってみた! タクシーで到着した所は、浅草、浅草寺の前、’雷門」である。普段、お金をとても節約している我々は、絶対乗れない物が人力車である。これが’鈴木さん’の奢りで、贅沢に王様になった気持ちで乗ってみた。2台を借りることで、¥3000×2、¥6000だった。妻と鈴木さんが一緒に乗って、私は子供一緒に乗った。人力車はとても楽で、前がすっきり見えて気持ちいい。スピードもかなり速い。人力車は、仏壇を作る時に、使う漆と高級の車輪を使って、とてもお洒落。人力車を引く運転手(?)も、昔風の格好をして、まるで明治時代に還ったような気持ちだった。
●一所懸命働く模様に私は感動した 私は乗る前から記念写真を撮ったが、それは要らないことだった。人力車の運転手が、途中で記念写真を撮ってくれたり、車を引きながら、建物の由来とか、町の案内とか、休まず説明してくれる。息が苦しい筈なのに、お客様に息が苦しいことを見せないように、努力している。あまりも一所懸命自分の仕事に最善を尽くしている。それは、まるで私がお客様のカバンを両手で持って、4階の階段を上がってきてからも、お客様の前なので、全然苦しくないような振りをすることと同じだ。だって、私が息苦しい模様を見せれば、お客様も心が苦しくなれるに決まっている。人力車の運転手は、お客様の心まで配慮してくれている。それが何よりありがたい。同病相哀れむなのか。私はいかに彼が自分の仕事に最善を尽くしているのか、判る。私は涙が出てきた。私は感動した。彼の多きな説明に、私もすぐ返事しているが、もう声は感動であまり大きくでない。次男に、あの人がどんなに一所懸命自分の仕事をしているのか、よく見なさいと、何回も言った。
●職業に貴賎は無い。 女性は男性の魅力を、一所懸命働く事から見つけるとよく聞かれるが、私は、人力車の運転手の、見事な仕事振りに惚れてしまった。韓国ならば、人力車の運転手ならば、何も名誉も、誇りも無い、最も恥かしい仕事と思われる。それはタクシーの運転手も同じ、皆から軽蔑されている。昔から荷物を背負って、運搬する人と、人力車の人は、職業の中でも最も卑しいと思われていた。人力車に乗る前の私は、そう思っていた。しかし、私の先入観は、すごく間違っていた、と痛切に反省した。ラーメン屋でも、何代も続いて、誇りを持って仕事しているし、子供にも譲る精神、すでに私は知っていたが、詰らないと思ってた、人力車の運転手も、自分の仕事に最善を尽くす、それが当たり前の日本は、本当に理想の国だ。私も韓国に帰ったら、もっと一所懸命お客様の応対しなければ、と思いながら、人力車の楽しい経験は終わった。
●浅草の店で、合気道の服を買う 15年前、初めてここ浅草に来て、子供の贈り物で、組み立ての玩具の車を買ってことがある。その時と今の浅草はあまり変わっていない。私はそれがありがたい。子供はもう大学に通う年齢になったけど、心はその時と同じ感激と興奮している。私の心も変わっていない。もう子供に上げる贈り物は準備しなくても良いから、今は私の為に良い物を探して、目に着いたのが、合気道の服だった。この服は、私が小学校3年、太拳道を初めて習う時、お婆さんに小麦粉の袋(布)を裁断して作って貰った服とそっくりのデザインである。生地もほとんど同じ。今の太拳道の服は、化学繊維で、上着がシャツみたいに、首が出る所だけ開いていて、下は二つに分かれていない。私はこの服がとても懐かしくて、¥3000で買ってた。それが旅行中、すごく役に立てる。私は寒がりだのの話は先にしたけど、冷房が酷い所では、すぐ道服を出して着て、体を温めた。私は、寒い所に長くいたら頭が痛くなる。人からは、かなり可笑しい格好だと思うけど、旅行先の恥は、大丈夫と聞いた事があるから。(笑い)。
「剛の家」の2009年日本旅行記(2009.9.5~9.9、4泊5日)B
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