徳寿宮 |
ソウル市 中区 貞洞5-1 |
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現地アクセス | ||||||||||||||||
地下鉄1号線「市庁駅」(2番出口)、2号線「市庁駅」(12番出口)から徒歩2-5分 | ||||||||||||||||
ソウルの中心地に位置する徳寿宮(トクスグン)は、朝鮮時代・成宗(1469-1494)の兄である月山大君(1454-1488)の住まいだったところ。 | ||||||||||||||||
徳寿宮が宮殿としての顔を持つようになったのは光海君(1575-1641)が即位して1611年に「慶運宮」と名付けてからのことで、その後名前を「徳寿宮」と直したという経緯があります。 徳寿宮の入り口である大漢門を通ると禁川があり、王の駕籠が渡れるほどの幅の禁川橋があります。 法殿である中和殿は長い歴史を物語るような古風な建物。内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴するという意味を持っています。 即祚堂は光海君と仁祖(1595-1649)が即位式を行った場所。即祚堂の扁額は高宗が1905年に皇帝に即位した後、直接書いたものです。 咸寧殿は高宗の寝殿で「咸寧」という名前は高宗が国の平安を祈願し付けられた名前で、中心を境に東側は皇帝の部屋、西側は皇后の部屋になっています。 静観軒は1900年に建てられた最初の西洋式建物で、ここは高宗がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだと言われており、裏側にはロシア公園に通じていた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。 石造殿は静観軒とともに現在、慶運宮に残っている西洋式建物で、英国人が英国の資材で建設を進める中、1905年に日本に主導権が渡り1910年に完成したという経緯があります。そして高宗が他界した後、石造殿は日本美術品の展示館として一般人に公開され、1946年5月には米ソ共同委員会がここで開かれたりもした意義深い所でもあります。現在、石造殿東館は宮中遺物展示館が、西館は国立現代美術館分館が入っています。 |
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お問い合わせ : 徳寿宮観光案内所 +82-2-756-0045
(日本語可)、 宮中遺物展示館 +82-2-771-9952(日本語可) ホームページ : http://tour.junggu.seoul.kr/japanese/ (韓・英・中・日・露) 観覧時間 :3月-10月(月-金)09:00-18:00、(土、公休日)09:00-19:00 観覧時間 :11-2月 09:00-17:30 *但し木・金曜日は21:00まで 休館日: 毎週月曜日 入場料 :
*徳寿宮美術館も一緒に観覧できます。(特別展の場合には別途料金が必要) |
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